14年前、出張で中国へ来ていた主人と出会い、中国湖北省の家族のもとを離れて台湾に嫁いで来きました。
一緒に生活する日々は幸せでしたが、生活に慣れないせいか、ずっと子供ができませんでした。
主人に子供がいればな、舅・姑さんにも孫がいればいいなという思いから、医者に見てもらうようになりました。最初の頃は排卵機能が悪く、排卵もせず大きくも育たないので、ずっと排卵誘発剤を注射し人工授精を試してみましたが、6回して全て失敗でした。
その後の検査で右側の卵管に少し癒着があるのを発見しました。そこでお医者さんの提案に従い、腹腔鏡手術を受けましたが、妊娠にはやはり効果なしでした。
その後一定期間漢方を飲んで対処しました。2005年には北京で体外受精を試してみようと決めました。ですが北京の先生は私の卵管の癒着・湾曲が深刻だと診断したのです。そのため…私はもう1回腹腔鏡手術を受けましたが、やはり効果はありませんでした。
2006年に台湾に戻り、台湾中部のある有名な病院で合計4回人工受精を行いましたが、最初の2回ではβ-HCG 値(最高数値は800にもなりました) が検出されましたが、全て自然に萎縮してしまいました。
先生は恐らく卵管に溜まった分泌液が胎芽に影響し、成長不良になっているのではと疑いました。
そこで…私は3回目の腹腔鏡手術を受けて右側の卵管を切除してから、2回の人工授精を行いましたが、やはり失敗でした。
その時、私は何も分からなかったのですが、今になって癒着手術後にも新たな癒着がありうるのだと分かりました。手術を3回しましたが、少しの役にも立ちませんでした。あらゆる苦痛を舐めても、得られたものは何もありませんでした。
家族は治療過程ではいつも私を支持してくれましたが、プレッシャーは全て自分が自分自身にかけたものでした。主人と舅・姑さんにいつも気がとがめました。私は他人の家に嫁いでもその家のために子供を産めないと何となく思うようになり、心にあった伝統的な価値観から、台湾に帰る勇気さえなくなってしまったのです。その時、私はすでにあきらめるつもりでした。とても疲れて、もう続けられなかったからです。私は舅・姑さんが口では「大丈夫だから」と言っているのに、失望の表情が浮かんでいるのを目にしました。私はまた後ろめたさを感じました。
その後、主人のお兄さんの友達の弟から張先生を紹介されました。その時は、張先生は帰国したばかりで、台中の中国医薬大学生殖医学センターで自然周期体外受精を推進していました。そこで私は試しにやってみようとの気持ちで外来に行きました。
12月の初診で、張先生が他の先生達と違うのが分かりました。張先生の態度は気楽でポジティブであり、冗談まで言って、私達に重苦しいプレッシャーを与えませんでした。だから私達は新たな希望を持てたのです。治療はリラックスして臨め、今まで使ってきた薬品に比べて少なく、排卵誘発剤の注射は半分で済みました。
その後2月になって、私達は凍結した胚を移植しました(新鮮胚移植ではだめでした)。
そして3月の妊娠検査当日に、妊娠したのです!!!
ですがそれまでに嫌な経験をしていたので、私はもう緊張も興奮もありませんでした。やっぱり今までと同じじゃないかと心配し、とても興奮する気になどなれませんでした。家に戻っても舅・姑さんにも話さず、この件は心の中にしまっておきました。
3/30に初めて赤ちゃんの鼓動を聞いたのです。とてもとても興奮して、信じられませんでした。3カ月経ったら、私はお腹を撫でて、「お腹さん。本当に命を宿しているの?」と尋ねました。主人は妊娠中もずっと私に気楽に自然体でいさせてくれました。
2010年10月28日、2800グラムになる私の女の子の赤ちゃんが誕生しました。
今、私は生活に忙しく、クタクタになっています。それは女の子の赤ちゃんがいるからです。ですが、主人と舅・姑さんの満足げな笑顔を目にしました。私の家庭はさらに幸せになりました。