私は今年35歳で、主人と共に教職に従事しています。結婚から数年ずっと妊娠しませんでしたが、最初の数年間は2人とも気にもかけませんでした。3年が過ぎると、まわりの友達や同僚が一人また一人と子供を生むようになってきたのに、どうして私は妊娠しないのかと感じ始めました。そこで勇気を出して中国医薬学院に行き、卵管造影と主人の精子検査を行いましたが、結果は全て正常でした。排卵誘発薬を飲んで、子作りをしましたが、失敗しました。続いて再診で蔡先生を伺うと、先生は休暇を取ってたので、別の診療所に行きました。その診療所は診察室が小さく、人で込み合っていました。患者さんたちは多くの注射針を手にしていました。妙な雰囲気でした。問診後、お医者さんが直ちに採血検査する言ったので、私と主人は驚いて『逃走』しました。この逃走劇の時から、私達は4年間逃避を続けたのです。私がお医者さんに検査に行かなければと言うたびに、主人からはいつも『神様は楽しく過ごすようにと言っている。くよくよしてちゃだめだ』と言いました。そこで私達はまた海外旅行で各地に行くようになり、子供がいなくても同じように楽しい日が過ごせるし、そのうえ子供がいる同僚や友達より幸せだと堅く信じるようになりました。更にラオスやハイチの貧困児童のチャイルド・スポンサーになることで、心の隙間、無念さを埋めました。
去年、クラスのある保護者から、「私は40歳の時に台中病院で人工授精を行ってようやく子供が生まれたの」と言われました。その子供が私のクラスにいる学生でした。私は、心に宿る出産への願望が掻き立てられました。その人の提案を受け入れ、彼女が勧めるお医者さんに伺ったのです。そこでは、排卵誘発薬を飲むだけの人工授精を2回試してみましたが、共に失敗しました。お医者さんからは、「もしも治療を続けるなら、排卵誘発剤注射を受けることになります」と言われ、怖さの余りあきらめました。
今年の初め、弟が張宏吉先生の自然周期についての新聞の切抜を持ってきてくれました。当初、私は気にもかけませんでしたが、その後おばも張先生の記事を持ってきてくれました。そこで私は勇気を奮い起こして中国医薬大学付属病院に行き、張先生の初診を受けました。張先生の話では、原因不明の不妊症とのことで、私に自然周期体外受精を受けるよう提案されました。その時、私と主人はやはりそれを受け入れる気にはなれませんでした。数カ月過ぎてから、私はいろいろなホルモンが正常かを見る採血検査を受けることを決め、不妊症の原因を探し出そうとしました。ですが検査結果は全て正常で、先生さんから「これ以上時間を無駄遣いしないように」と言われました。そしてちょうど、自然周期治療で成功した方の話をきき、私は試してみようと決めました。
6月中旬から毎日学校に半日休暇を取り、まず仕事のプレッシャーを半減させました。午前中に病院に行き、午後に出勤しました。この期間で、合計4本の排卵誘発剤を注射し、10日間服薬をしました。合計5個の卵子を採取し、4つの胎を移植しました。その後プロゲステロン注射を3本受け、クリノン座薬を使いました。
14日後、不可議なことに私は妊娠できたのです!!!!そのうえ双子でした!!!
以前は、体外受精はとても繁雑で、時間がかかり精神が磨り減るものというイメージがありました。ですが自然周期体外受精を経験してそのイメージは完全に変わりました。
張先生の治療では、あの痛いのhCG注射を打たなくてもよく、単に点鼻薬だけでhCG投与ができるのです。そのうえ採卵の過程では痛み止め注射を受けるので、全く痛みを感じることはありませんでした。移植時には少しの感覚もありませんでした。
唯一怖かったのは、プロゲステロン注射でしたが、幸いにも私の隣人が看護士で、彼女が3日ごとに1回分の注射をしてくれました。座薬挿入は主人が手伝ってくれました。
張先生は医術を極めただけでなく人当たりも良く、親しげで、若々しく、いつもにこにこと患者のために働いて下さいます。そのうえ仕事には熱意と熱望が満ちています。私の妊娠を知った時にも私より感情が高ぶっていました!
張先生、ありがとうございました。そしてお疲れ様でした!私の人生に新しい方向を指し示し、私に人の母となる機会を与えてくださったことに感謝します。また生殖医学センターのみなさんの協力と手助けにも感謝いたします。
神様、観世音菩薩様、註生娘娘様、八百万の神様、私に一番目をかけてくださり感謝いたします。私は幸運にも1回で妊娠できました。あなたがまだ治療を受けるかためらっている、もしくは失敗してまだ努力の最中にあるなら、チャンスは努力する人に与えられるもので、挑戦してこそチャンスがあることを信じてください。強い意志と気力があり、医師の治療に合わせれば、あなたはすぐに人の母となる喜びが味わえるのです。ですがもし思い通りにいかない場合には、自分の考えを変えるよう試してみることです。人生では子供がいなくても万事足りることもあります。