主人の両親は娘が4人、息子が1人いました。
私は嫁に行く勇気があったかどうかというと、勇気はなかったです。
自分の体に自信はありました。
実は小学校6年生の時に、生理が来てからあまり生理痛がありませんでした。
それに私の生理は周期が非常に決まっていて、大体26~28日であり
絶対これより遅くはならず、遅くなったら必ず何かおかしいということになります。
生理の量もいつもしっかりしていました。
だから私は自分に自信があったのです。
だから5年も引き伸ばして、私達が35歳の時に、結婚を決めました。
子供が好きなのと、もともと病院に勤務していたので、私は児童作業療法士になりました。
だから、私が接するのはみんな子供で、子供が大好きでした。
だから私を知っている人はみな、私が子供好きだと知っていました。

以前仕事を始めたばかりの頃に主任から「これから子供は何人産むつもりか」と聞かれたことがあります。
私は「4人産みたい」と答えました。
私も5人家族ですから、私は人がたくさんいる雰囲気が好きなんです。
だから結婚すると決めたからには、私達は努力を始めました。
結婚前に、北海道のリゾートに行きました。
そして結婚を決めたのは2月でした。
日取りが整い、5月に結婚と決まり、式場を予約しました。
私達には準備期間は2か月しか残されていませんでした。
それでも3月にやはりバカンスに行きました。次はトルコに行きました。
なぜかというと、学生時代の先輩が、トルコから帰ってきたら妊娠したからなのです。
だから、 私もトルコへ行きました。
に吉日と言える日に行きましたが、結局妊娠していませんでした。
その後、結婚当日に結婚前後がちょうど排卵期だったので、新婚での妊娠を望んだのです。
絶対におめでたい話になるはずです・・・ですが結局妊娠しませんでした。
結婚してからの2か月は辛かったので、主人もお礼の意味を込めて、私にとても感謝してくれました。
主人は1度機会を作ってくれました。私を連れてバリ島にハネムーンに行くというものでした。
だからその期間には、私はもう基礎体温を測り始めていました。
戻って来てからは、まるで勉強のようでした。
私は半年努力しましたが、半年努力しても、まるで何も得られませんでした。
友達にも尋ねたり、ああではないかと疑ったり、私は自分の基礎体温について調べました。
自分より詳しい人が、基礎体温の曲線を説明してくれました。
後になって、私の高温期が短すぎするのではと気が付きました。
だから試しに漢方を飲むようになったのです。
私は漢方医の楊先生の診断を受けました。楊先生は有名な方ですので、皆様もご存知かと思います。
私という人間は、生まれながら漢方というあの粉末が大嫌いでした。
だから私は必ず水薬を飲みました。ですがその水薬は非常に高く、私が薬を受け取るたびに、大体2~3,000元は飛んでしまいした。
そして、私自身が病院で仕事をしていたこともあり、産婦人科のあの余先生は、私にもまあまあな対応でした。私は毎月、もうすぐ排卵するかという時になると、余先生のところに行き卵泡の写真を撮ってもらいました。私は自分の卵泡が全て残っているのを目にしました。それは恐らく私の子供なので、私は卵子の時からその記録を始めると思います。
ここまで話すと、皆様はそれでは男性の側に問題があるのではと思われるのではないでしょうか。
実は私達が結婚した月である5月に台北市民は無料で健康診断を受けられたので、私達は直ちに1週間以内に検診に行きました。
仁愛病院で検診を受けました。彼については、私は安心しました。これで私に努力をする甲斐がある、という訳ですよね。
だから、彼の活動量、彼の精子の質、彼の数値などは、全てOKでした。
それから大体半年が過ぎましたが、やはりありませんでした。
私の産婦人科の先生は婦人科の先生は、「では、命中率を高めましょう」と言いました。つまり、 排卵誘発剤を飲むのです。
だから私は初めて排卵誘発剤を飲みました。
2010年12月から飲み始め、合わせてプロゲステロン薬を使いました。
初回は成功しませんでした。
みなさんがプロゲステロンを入れたことがあるかは分かりませんが、恐ろしいものです。
2つの白い玉を、下のほうから入れていくのです。
その後は体を動かさなければなりませんので、だから毎日下のほうはびしょびしょです。
ねばねばして白い屑がいくつか、そんな感じです。
ですが成功しませんでした。
1年余りの時間が過ぎて、2009年12月、私は妊娠への努力を始めました。この時までにすでに2年経っていました。
やはり妊娠は成功しませんでした。
私はまたいろいろ調べました。完璧な卵泡があり、完璧な卵子があったとしても、それが来なければ意味がないと気づいたのです。
そこで、私は卵管造影をすることにしました。それも非常に恐ろしい経験でした。私は馬偕病院に行きました。
2011年8月、 私は始めて子宮内人工授精をしました。
それはお医者さんが私に「活動力は良いが、卵管の3分の1で結合できなければ意味がない」とおっしゃいました。
その場所にたどり着けなければ、間に合わないということです。
お医者さんは、「ヘリコプターに乗って運ぶのです」とおっしゃいました。
初回で私は17983元を投じ、6回注射をしました。
結果が出てきて、 左側には5個の卵子が、 右側には2個の卵子があることが分かりました。
子宮内人工授精を行いましたが、それは嫌な経験でした。
皆様のなかでしたことがある方がいらっしゃるでしょうか。
それは私の主人の感覚ですが
主人は私に、「お父さんは俺だという感じがしなかった。俺の精子を取ったのだけど、移植の時には、立ち会えなかった」と言いました。
私は足を開いて、それから主人に精子を入れさせてから、彼は出てきたと言う感じでした。
だから主人は、父親が自分だという感じがしなかったのです。
それはヘリコプターに乗せて入り込んでいったにせよです。
そうです、 だから初回は成功しなかったのです。
インターネットで調べると、「連続して3回はしなければ」と書いている人もいました。
だから私は勇気を出して続けたのです。
2回目は、2011年の9月にしました。その時、お医者さんは薬を変えました。
「ゴナールF」と「ピュレゴン」を使って行い、これに「クリノン」を加えました。
この1回で更に多めの出費をし、 2万元あまりになりました。
それから注射を5回してから、同じように7個の卵子を誘発しました。
左側が4個、 右側が3個でしたが、それでもやはり成功しませんでした。

7月の時に、私は勇気を振り絞って、宏孕クリニックに来たのです。
実は、初診のとき、私は山のような、29枚の基礎体温表を持っていきました。私が何日に子作りしたかや、私がまだ漢方を飲んでいないという記録もありました。私が何日に何をしたか、表には全て記録がありました。
その後、張先生は私のこの書類を見て、ただ厳粛に私達に向かって「あなたは妊娠できません」とおっしゃいました。
私がこの長い治療歴の中で、張先生が初めて「妊娠できません」と語った医者でした。
張先生にこう言われた時、私は泣くこともなく、一滴の涙すら出ませんでした。
かすかな不満があり、かすかな憤慨がありました。そして心の中で、 私が経験したあらゆる光景を思い浮かべていました。
私はここまでたくさんの子供達を治療してきたのに、報われないとでも言うのでしょうか。子供1人授かるのに私はふさわしくないとでも言うのでしょうか。私にはできないと言うのでしょうか。だから私は張先生と賭けに出たのです。
張先生からの誠意に心打たれ、私は初回の治療を行いました。
初回の治療過程は驚嘆すべき過程でした。それは、かなり気を楽にしてできたからです。
実は私は注射は4本しか打っておらず、1日おきに1本でした。その後、私は9日間薬を飲みました。そして、私は採卵の過程に入りました。
だから、今までの、「クロミッド」、「ピュレゴン」「ゴナールエフ」のようなものよりは、気楽にできた感じがします。
それに、その注射薬は使い勝手も良かったです。
ですが、成熟した卵子が1つしか誘発できませんでした。
2日目には電話で「受精しましたが、異常受精でした」と言われました。私は失敗したのです。
その採卵の過程で、実は私が宏孕を選んだもう1つの理由は、私自身が医療看護関係者であり、全身麻酔は非常に大きな危険を伴うことを知っていたからです。それにもし全身麻酔をする場合は、1日終日休暇をとらなければなりません。あとは体の回復にも時間がかかりますから、全身麻酔というものには、実は私は非常に恐れを感じていました。全身麻酔を施されたら、 それは人から聞いた話ですが、採卵が終わり、全身麻酔をして採卵が終わるとその人は目が覚めてから痛みが走り、とても痛く感じるそうです。
ですが、宏孕が魅力的だったのは、全身麻酔を使わないことです。
張先生は私に「実は単にこの程度のことで、経膣超音波のようななものであり、その後で針を刺して取り出すだけだ」と言うことを分からせてくれました。
だからその時私は、この方法ならば受けても大丈夫だと思い、私はすることにしたのです。
そして10月29日の生理から2日目に、私はまた来て2回目の治療を始めました。実はこれにはとても勇気が要りました。本当に私自身に準備ができなければ来られませんでした。それは実は毎回体にとって、ショックになったからです。気持ちからすれば、大きなストレスでもありました。だからやはりここを選ぼうと私は決めました。他の場所では、私は受ける気になりませんでした。第一に、 ここでは気を楽にして診断が受けられます。時間も短かめにできます。更に、私が初回の治療を受けた時には
私の再診の回数は、私は生理から2日目に来た1回だけで、その次の1回は、 採卵だったのです。
採卵の1回だけ、私の主人は姿を現せればよかったのです。こうして私の段階的な務めは終わりました。
採卵が終わったら、私は電話を受けるだけでよかったのです。それだけで私達の精子の受精状況が分かる、この方法なら私は時間的にも受けても大丈夫だと思いました。
2回目の時には、その回では私は多めに注射を受けました。毎日注射がありました
注射は8回で、それから8日間薬を飲みました
そして11月7日には、無事に卵子を7個採取しました
今回はうれしかったです。2日目のことですが
3日目に電話で、卵子が7個全て受精し、
全て分裂が始まったと聞きました
3日目に張先生から電話が来て、私に、
「あの卵子の凍結準備をしましょう」と話してくれました
ですが、私は夫と子作りをしたのです
それに、以前張先生が話してくれたように、
「胚盤胞」と言うことを済ませるので
私は交渉を済ませました。何と言ったらいいのでしょうかねえ
私は胚盤胞になるまで培養できればと思います
それは、少なくとも120個の細胞であり
その一部が成功率が高くなっています
もちろん、私自身がその危険に耐えなければなりません
それはつまり、恐らく私の7個の卵子は
その後、培養から5日目でと1つもなくなってしまうかもしれないのです
それは培養を始めてから長い時間ではありませんでした
それは非常に強力な実験室の技術をもってしなければ、何ともならないのです
幸運にも、私はグレードAの胚盤胞が2つ育成できたのです
2個の胚盤胞がそれらを凍結しました
それから更に1か月経った、12月7日
私は生まれて始めて移植を行いました
その日は3個の凍結胚盤胞、つまりグレードAの胚盤胞を2個選びました
実は私は最初4個を投入したかったのですが
その後、彼らと相談した結果
やはり3個の投入となりました
彼らが私にくれたscheduleには、
「12日後の 12月19日に妊娠検査を行って下さい」と指示が書いてありました
移植してからは、実は私には2日の休暇期間があり
家の中で、自分自身気を楽にしていました
でなければ、以前なら私はずっと変わらず出勤し続けたでしょう
その日私はどうして夜中の3時に起きて妊娠検査をしたのでしょうか
それは私は夜中の3時に突然尿意がしたからです
便座に腰掛けた時、 実は私の心理的なストレスがどれほどか想像できるかと思います
便座に腰掛けた時、私は突然私に返りました
それはつまり、もし私が今尿をしたら
私が6時に起きた時には尿が出なくなると言うことです。どうしたらいいのでしょうか
それでは検出できなくなってしまいます
あとそれから、同僚と
看護師から聞いた話では、最初の排尿では
一番濃い時でなければ、検出できないと言うことでした
だから私は 自分がようやく12日目ですから、必ず一番濃いはずだと思ったのです
だから夜中の3時であっても、私は便座に座ったのです
私は幾秒考えてから決めました。私は夜中に験尿すると
寝静まった夜に検査し
結局検査してから、最初は本当に驚いてしまいました
それははやはり一本の線だけ だったのです
それで、私は呆気に取られてしまいました
何の感情もなく、 ただ呆気に取られてしまったのです
それはただ: あ~あ。また失敗だと感じただけでした
それから、また少し間をおいたので
私が立ち上がろうとして、床面で検査をする準備をしました
立ち上がろうとした時、見つけたのです
おぼろげながら、どうやらもう一本の線が姿を現したようでした
それから、駆けていって主人を起こして
「私、成功したみたいよ」と言いました
それからは、その日ですが
また診療所に行って採血しました
その採血結果では、 私は子作りをして
そのB-HCGが300以上なら大体妊娠だと確認されるのです
そして私の B-HCG は1151だったので、妊娠したと確認されたわけです
ですが張先生は小声で、
「恐らく2体でしょう
或いは1体、或いは1体が良くないかもしれない」とおっしゃいました
ですが私にとっては、どれもすばらしい知らせでした
実は本当にうれしかったのです
そうです。確かに私は妊娠したのですから
12月25日の晩になって
実は、会社を退勤してから私はもうとても気分が悪くなり始めていました
座るのもダメだし、立つのもダメなのです
ご飯を食べるのも、寝るのも、どんなこともできなくなってしまったのです
疲れた疲れた疲れた…一日中働いて疲れた
寝転がって、本当にわずかの時間でまた起きあがりました
私はソファーに一日中座っていました
実は、 私はその日午後の再診を予約していたのです
ですが私は本当に…痛くて仕方がありませんでした
私の主人でさえなすすべがなく、疲れでぶっ倒れてしまいました
それは私はそう丸一日痛がっていました
それから朝一番に
電話をしたのは…宏孕にでした
ちょうど張先生は不在で
張先生は午後になって戻って来るということでした。私達が午後に診察があるからなのです
張先生は不在でしたが、私は朝一番で来ていました
幸いそこの看護士達が私の面倒を見てくれました
看護士達も張先生が電話を通じて見守るなかで、超音波装置を起動させて私を検査しました
あるあるある・・・確かに確かに、胚盤胞が中に入っている
あるあるある、受精したのが中にある
あそこまで痛かったのは、その子宮が引っ張られていたからでした
ですが私は帰る気にはなりませんでした。それは本当に痛かったからなのです
私は本当にあまり調子がよくなかったので、やはり張先生を待とうと決めました
私が上の階で休憩していても、眠れませんでした
私は観音経を唱えましたが、きちんと唱えることはできませんでした
そうです。 だから私はずっと待ち続けたのです…
午後3時まで待つと、 張先生がついに戻って来られました
張先生は真摯な態度で会いに来てくださいました
私の手が示した痛い箇所を探してくれ
つい見つけてくれたのです
それは…1箇所
左側輸卵管の子宮外妊娠でした
だからこの時は私にとっては、また試されることになったのです
私の基本的医学のknowledgeがまた少しづつ飛び出てきました
ずっと病院に連絡を取っていた同僚が電話に出て来て
彼らには長庚病院の病棟を手配してくれるよう頼みました
そして「もし本当に痛いのなら、今急いで行きなさい
子宮外妊娠だと確認したら、対処しなきゃだめだから
それにそれは輸卵管にあるから
もし大きくなりすぎると、破裂してしまう」と言ってくれました
私達の中にいた同僚は、「こういうことなら
邱さんはこれ以上出産できない」と言いました
そうだ。だから、そもそも長庚に行くべきだったんだ
ここの張先生も私に台湾大学に行くよう勧めてくれているし
ですが、 私は本当に痛かったのです
その瞬間、張先生は突然霊感を授かったかのようでした
私は本当に痛くて、
それに、もう午後4時過ぎで5時になろうとしています
大病院ではみんな退勤時間になります。なら、どうしましょうか
張先生は私に、「私がしてさしあげましょう」とおっしゃいました
もしあなたなら、どちらを選びますか
それは、私自身の基礎的な医学knowledgeから分かりました
大病院に行ったら、また同じです
そこでは確認して、そしてもう一度やり直しです
恐らくB-HCGを検査するでしょう
本当に1万元を超えてしまいます。だから中には恐らく2体以上あるでしょう