(孫さん 竹山在住)
十数年前、当時の私は16歳でちょうど思春期、女として成長する段階にありました。しかしまだ初潮を迎えていませんでした。母親は、家族の体質的に生理が始まるのが遅いのであろうと考えていました。ところがいくら待っても生理は始まりません。生理というのは、女性にとってある意味で性の象徴です。生理がこないことに不安を感じる私を、母は産婦人科に連れて行ってくれました。医師の話では、私は人より子宮が小さめだということ。その後も数軒の病院で診察を受けましたが、医師によって診断がさまざまだったのです。
そのまま私は18歳まで待ちましたが、やはり生理はきませんでした。そこで台湾中部にある大きな病院に行き、採血、内診をして貰い、処方して貰ったプロゲステロンを使用し始めました。それでもやはり生理はきません。逢甲に有名な女医がいると聞き、その医師に処方して貰った21日分の内服薬を続けたところ、やっと生理がきました。一体何が原因で生理がこないのか、どの医師も説明がつきませんでした。その後台湾中部の大きな病院の医師から「一生服薬しないと生理はきません。子供を生みたいというのは不可能です」と宣告されました。診察室で医師の話を聞きながら、私は涙をこらえました。しかし一粒の涙がこぼれ落ちたとたん、耐え切れず号泣してしまいました…。母は私を見ながら「何を泣いているの。結婚しなくたっていいのよ。」と慰めてくれました。口ではこう言った母ですが、その心情はとても複雑で辛かったのではないかと思います。
その後、私は今の主人と出会いました。私は自分の身体のこともあり、付き合いに発展するのが正直怖くもありました。彼の子供を産んであげることが出来ない。そこで私は正直に「私は初潮すらきてないの」と伝えました。その時の私は、彼にこう告げながら自分の状況に大変コンプレックスを感じていました。私の告白に対する主人の反応は意外なものでした。主人は落ち着いた様子で「今の医学はとても進歩しているんだ。心配することはないよ」と言ってくれました。主人の瞳から揺ぎ無い信頼を感じ、私の抱えていた恐怖感のようなものは少しずつ消え去っていきました。その後、主人は絶えず励まし、私に寄り添ってくれました。私は勇気を出して彼からのプロポーズを受けることにしたのです。この期間も私は漢方薬を使っての体調管理は続けており、母も神頼みを辞めることはありませんでした。しかしそれでも効き目はありませんでした。その後、雲林に有名な漢方医がいると聞き、薬を処方して貰い体質調整を試みましたが、半年間ずっと生理がきませんでした。漢方医はあと3ヶ月は続けるようにと言いましたが、やはり失敗に終わりました。
話し合いの末、私達はやはり大きな病院に行ってみることにしました。もともと私達は張医師のことは知りませんでした。自分の症状をインターネットで検索しているうちに、張医師のところに辿り着いたのです。私は「生理がなぜこないのか、その原因を調べに行くだけ」と、あまり大きな期待をしないで受診しました。張医師からの回答は、私達にとっては大変衝撃的でした。張医師は「あなたは生理がこない理由が知りたいだけですか。それとも子供が欲しいのですか。私ならあなたに子供を産ませてあげられます」と仰ったのです。張医師の言葉からは強い自信を感じました。人工授精も体外受精も、何の知識もない私達は、その場で自然周期の体外受精を試してみようと決めたのです。
初めての治療周期では、私は希望で胸がいっぱいでした。私は体質が特殊だった為、張先生が誇る注射が少ないという治療方法の中では珍しく、20本以上の注射をしました。張医師は「あなたはこれまでの患者の中で、一番たくさん注射をした患者です」と仰いました。初めての採卵は失敗に終わりました。採卵手術後、張医師は重い口調で「申し訳ありません。今回はあなたの助けにはなれませんでした」と。質がいい卵子が採取できず、すべて空砲だったのです。希望が一瞬で失望に変わるということは、大変耐え難いものでした。私は一日中仕事への意欲が湧きませんでした。何も手につかず、その日は一日中泣きました。
張医師を始めスタッフの皆さんが「あきらめないで。頑張って。」とずっと私を励ましてくれました。主人も変わらず私に付き添い、引き続き一緒に挑戦してくれました。張医師は私が季節型生理に当たると推測し、正確な排卵日を算出して下さいました。そこで私はメリアンを2ヶ月飲み、卵巣を休ませながら生理の周期を調整しました。
2回目の治療周期で、私は10数本の注射を打ちました。それでも張医師の患者の中では多いほうでしたが、従来の体外受精よりは楽でした。2回目の採卵手術は長く感じました。張医師は私の卵子の数が多いので、鎮痛剤を注射してはどうかと提案されましたが、私はそれを使わずに採卵を終えました。手術中は大変緊張し、若干のだるさはありましたが、それは耐えれるものでした。最終的に6つの卵子を採取し、グレードが優れた順に4つの胚芽を移植して貰いました。それからは当選発表日である10月20日が来るのをひたすら待ちました。
待っている間、私は心配で動き回る気にもなれず、まるでお姫様かのような生活を送りました。最初はしばらくのんびりしようと思ったのですが、一日中ずっとベッドに横になってテレビを見るだけの生活を数日続けると、だんだんつまらなさを感じてきました。だらだらとした日々を数日続けましたが、当選発表日はまだきません。私はお腹が張って不快感を感じ始めたので、病院に電話し相談することにしました。看護師に状況を説明したところ、妊娠判定を1日早めて10月19日に行うことを提案されました。当日、検査の結果を待つ間本当にどきどきしました。医師から「おめでとう」と妊娠したことを告げられると、お腹の不快感は一瞬で消え去りました。張医師から赤ちゃんは一人だろうと告げられた時、私は少しがっかりと「双子がいいなぁ」と呟きました。帰り道、私は嬉しさでいっぱいでした。18歳の時に医師から子供は産めないだろうと言われた私が妊娠するなんて、不可能を可能にしたような気がしました。
10月26日、検診の為に再度病院へ。張医師がエコー検査で赤ちゃんを確認している時、神妙な面持ちでエコー検査の画面を指差し、「赤ちゃんは一人、子宮内で正常妊娠。あれ、二人目、でもまだはっきりしないなぁ」と仰いました。これって双子ってこと?私は主人と二人、うきうきしながら帰宅し、次回の検診で心拍が確認されるのを心待ちにしました。
11月9日、それはあっけにとられた1日とでもいいましょうか。この日は私が望んだ双子なのかどうかを確認する日でした。張医師は真剣な面持ちでエコーを確認していました。今回は前回とは違って妙な話し方で「心拍は二つ。あれ、いや、心拍は3つだ」と。え!私はあっけにとられました。3人の赤ちゃん…三つ子。私はどう反応していいのか分かりませんでした。
その後張医師よりプロゲステロンの補充を辞めるよう指示を頂きました。胞胚が丈夫でなければ、自然に萎縮するかどうか観察してみようとのことでした。結果は、3人とも丈夫過ぎるほど丈夫!主人と減胎手術について真剣に話し合いました。エコーで可愛い赤ちゃんを見てしまった為、私も主人もあきらめることは出来ませんでした。しかし産婦人科の先生による診断のもと、私達は泣く泣く減胎手術を選択しました。今は減胎手術を終え、無理をしないように生活をしています。これまでの道のりはとても辛いものでした。どの時期をとっても異なる辛いことや心配事はありましたが、私はたくさんの素晴らしい方々に出会いました。主人や家族、張医師や看護師、胚培養師のスタッフの方々、この辛い道のりで、親友のように寄り添って下さいました。質問にはいつでも答えてくれました。私のように今悩みを抱えている方々がいらっしゃれば、紆余曲折を経たとしても、最後には幸せを手にしてくれればと願っています。