37歳台北市在住 金融業
5年とは、本当に長い歳月でした。私と同時期に結婚した友人達は、その多くがもう2人目の子供がいます。一方私達夫婦はこの5年の歳月の中で、どんな治療も受けてきました。それでも張先生に出会うまでは、人生に一筋の光も差し込まなかったのです。

もともと自分が若いという思いがあり(実は若くはありませんでした。結婚時点ですでに31歳でした)、不妊症ということも自分の身には降りかからないと思っていました。同時期に結婚した妹がお医者さんの手助けを求めるに至って、ようやく私は結婚してもう1年経ったのに、いつまでたっても妊娠の知らせがないことに気が付いたのです。そこでその時(4年前)から、不妊症の遊牧民族になった日々が始まったのです。

台北市にある数多くの大病院は、私は大半を受診しました。不妊症の担当名医の診察室ならどこでも私の姿があったのです。不快感を覚えるさまざまな検査も全てしました。もちろん漢方医も外しはしませんでした。漢方病院を2軒換えてほぼ1年体質調整しましたが、好転しませんでした。人工授精は3回、従来の試験管内受精手術は2回しましたが、何ということでしょう!  1回も成功しなかったのです。
こうして5年もの間、身も心も苦しめ、紅斑が出たのを見るたびに今までになく悲しくなりました。私は本当にあきらめて、子供を産もうとは二度と考えないようにしようと思ったのです!!!

ですがそれからどうしてあきらめなかったのでしょうか?一番の理由は2年前に私が嘉義で働いていた時の同僚から張先生に見てもらうように勧められたからです。その人は以前も張先生を紹介してくれましたが、遥か台中の中国医薬学院ですので、OLだった私はそこまで足を伸ばすことはできなかったのです。そこで心の奥にしまったまま、縁のある日まで待って、機会があったら張先生に治療をお願いしようと思っていたのです。

今年になると、張先生は台北に来て開業されました。私達夫婦は「ものは試しだ。どっちにしろ3度目の正直。今回妊娠できなければ本当に徹底的にあきらめようよ」と思ったのです。

一番近代的な実験室があり、環境が快適でくつろげる雰囲気の宏孕診療所に、ついにやって来たのです。張先生は非常に親しげで、何度も私に希望を与えてくれました。そして根気強くさまざまな理論を説明して、絶対にBABY を産んで幸せな人生の夢をあきらめないようにと言ってくださいました!
私はその頃、宏孕で行っていた貯金箱計画に参加し、2周期分の卵子を採取しました(ポイントは卵子を2回採取した費用が、私がその頃行った従来型の採卵1回分の費用と同じだったことです)。体外授精ではいい方の胎芽を選んで移植し、妊娠の機会が簡単に手に入りました。
宏孕の自然周期試験管内受精治療法は、以前私がよく知っていた従来の試験管内受精とは完全に違い、多量の注射が不要で、治療に服薬を合わせ、採卵では全く麻酔を使わず(張先生の腕にかなう人など本当にいません)、卵管造影よりも気を楽にしてできます。以前大病院で行った採卵では、全身麻酔されて手術台に送られひと騒ぎになるやり方でしたが、一生忘れない記録として焼きついています。
治療過程ではほとんど苦痛がなく、仕事にも影響しませんでした。私は卵子を2回採取しました。3回目では採取する卵子がなく自然周期を使って3つの嚢胚を定着させました。すると2週間が過ぎたら、驚嘆の2本線が現れたのでした!!

妊娠検査での再診日には、私は診察室でこらえ切れませんでした。張先生の目の前で泣き出してしまったのです!
まさか私の生涯で妊娠する日が来るとは思いませんでした!
張先生は私に、「そもそも妊娠は難しくなんてありません!」とおっしゃいました。
7週目の再診時には張先生が手元に持っていた超音波機器から 「ドンドンドン」という力強い鼓動が聞こえました。超音波機器の画面に1センチ余りのちっちゃな赤ちゃんが目に入りました。張先生は健康な赤ちゃんだと言ってくださいました。その時の感動は本当に言葉では言い表せません。主人がその場にいてくれたら(仕事中)どれだけよかったか-思わずそんなことを言ってしまいました!
心から張先生に感謝いたします。そして宏孕自然周期試験管内受精の医療チームと技術に秀でた胎芽実験室の皆様に敬服致します。皆様の手助けと根気強い支えがあって、私達夫婦もようやく自分の子供を持つ機会にめぐり合えたからです。不妊症の夫婦にはこう言って励ましたいと思います。たとえ2回目の試験管内受精をするとしても、あきらめないで、決心を変えないで下さい。相応しい医師さえ見つかれば、必ずや成功できるでしょうから!